◆宮ぷーが、宮ぷーと呼ばれる理由
私、山元加津子は、特別支援学校(以前は養護学校といわれていました)に勤めています。そして、作家もしています。学校で出会った子どもたちのことが大好きで、いろいろな方に知っていただきたくてたまらなくて、本を書いたり、講演会でお話をさせていただいたりしています。そんな私ですが、あまりに方向音痴でおっちょこちょいのために、どこかへ出かけるときに、ちゃんとたどり着けなかったり、何かいつも、忘れたりということが、しょっちゅうです。そのために、県外では、小林さんという方がサポートをしてくださって、県内では、私が前に務めていた学校で一緒だった、宮田俊也さんという方がサポートをしてくださっていました。
宮田さんは、子どもたちに宮ぷーと呼ばれていました。みんなが絵本の『くまのプーさん』が大好きで、そして、宮田先生のことも大好きで、かなちゃんという女の子が、「くまのプー。くまのプー」という歌を同じメロディで「みやたっぷー、みやたっぷー」と歌いだしたことがきっかけで、宮田さんのことを、だれもが宮ぷーと呼ぶようになりました。そして、私もそう呼ぶようになりました。
◆宮ぷーが倒れた
その宮ぷーが、平成21年の2月20日に、脳幹出血で突然倒れたのです。私は脳幹出血という言葉を聞いても、いったいどんな病気か知りませんでした。あとで、本やインターネットで調べると、「脳幹出血の80パーセント、100人おられたとしたら、80人の方が亡くなり、残りの20人のうちの、また80パーセント、すなわち16人の人が意識がもどらないと書いてありました。なんと100人のうち、意識が回復するのは、統計的にたった4人というとても深刻な病気だったのです。けれども、脳幹の出血の度合いも、少ないものから多い人までさまざまです。けれど、宮ぷーの場合はとてもとても大きな出血でした。当初は、3時間の命、それが過ぎたときは3日の命だというお話でした。宮ぷーに付き添っていられる家族は、赤ちゃんを産んだばかりの妹さん、ただ一人でした。それで、妹さんは昼間、赤ちゃんを連れながら付き添われることになり、私は、学校が終わってから、病院へ通うという毎日が始まりました。
◆「宮ぷーはだいじょうぶです」
夜に集中治療室にいると、お医者さんが来て、声をかけてくださいました。「妹さんに聞かれたと思うけれど、今夜が山です。もし、山を越すことができたとしても、一生植物状態だし、一生体のどこも動きません」と言われました。実は、宮ぷーは驚くほど大きな出血で、非常に重篤な状態でした。ですから、お医者さんが言われたことは、無理のないことだったのです。
けれども、知らないということは本当に怖いものなしだなあと思います。私はなぜかそのとき、「だいじょうぶ。宮ぷーはだいじょうぶだ」という思いがして仕方がなかったのです。それで、「だいじょうぶです」と言いました。お医者さんは不思議そうな顔をされました。そして、そばにいる私のショックを少しでも少なくしようと思われたのでしょう。とてもやさしくゆっくりと私の顔を覗き込んで「僕の言っていることがわかる?」と言われました。私は逆に、こんなにも心配してくださっているお医者さんを安心させたくて「はい、わかります。先生、だいじょうぶ。だいじょうぶですから先生安心して」と言いました。そんな状態ですから、お医者さんは次の日に、妹さんに「一緒にいた女の人はショックで頭がおかしくなっていたようでした」と私を心配して言ってくださったほどでした。
◆宮ぷーの大変な状態
けれども、宮ぷーは決してだいじょうぶなんかではありませんでした。脳幹という場所は、人の生きるということを司る場所なのですね。宮ぷーの瞳孔は開きっぱなしで、舌が口から出て中へ入りませんでした。息もしていなくて、人工呼吸器がつけられていました。
私はそれまで、熱ければ人はだれでも汗をかくのだと思い込んでいました。けれど、宮ぷーは汗をかくこともできずに、体温がどんどん上がっていきました。私は体に水分を入れれば、たとえ、オムツの中であってもおしっこは出るのだと思っていました。けれど、おしっこも出なかったのです。なぜなら、宮ぷーの内臓はどこも機能していなかったのです。けれど、お医者さん、看護師さん、介護士さんといったみなさんが、本当に心を尽くしてくださって、宮ぷーは生きることができました。
私は宮ぷーのそばにいて、いったいどうしたらいいかわからず、たくさんついた管の間から手を通して、「生きて生きて」と言い続けました。そして、息をするごとに祈り続けました。そして、宮ぷーのために、たくさんの方が祈り続けてくださいました。私は特別な宗教を信じているわけではありません。けれど、神様は必ずいて、私たちを守っていてくださるんだということを、宮ぷーが倒れてからいっそう思うようになりました。
◆宮ぷーが目を開けた
8日目に宮ぷーの目が開きました。私はうれしくて、お医者さんや看護師さんに「目が開いた、目が開いた」とお話をしました。けれども、宮ぷーの脳のCTは、例のないほど大きな出血であることを示していました。そして宮ぷーは、ときどき反射でどこかが動くことはあっても、声をかけても、ゆすっても、体のどこも動かせず、眼球すら、動かすことができないままでした。
お医者さんは本当にやさしい方でしたので、またゆっくり言葉を選ばれるようにして「残念ながら、なぜか、植物状態の人は、昼間目を開けて、夜は目を閉じるのですよ」とおっしゃいました。それでも私は、自分があのとき、だいじょうぶだと思ったからだいじょうぶなのだという、何の根拠もないことなのに、そう思い続けていました。
宮ぷーはいつか意識を取り戻すのだから、そのときに、意識のない間のことを知りたいに違いないからと、毎日日記を書き続けました。そして、宮ぷーの開いた目に私の姿を映しこんで、日記を読み続けました。そのとき、また私の思い込みだったのかもしれないのだけれど、私が話しかけると、眼球も動いてないけれど、確かに、目の光の様子が違うと思いました。宮ぷーは目の玉も動かないけれど、何もかもわかっているのだと感じました。
◆宮ぷーの思いを知りたい
私はずっと特別支援学校に勤めています。そこで、子どもたちといて思い続けてきたことは、子供たちがたとえどんなに重い障害を持っていたとしても、だれもが気持ちを持っていてそれを伝えようとしているということでした。そして、子どもたちの気持ちを知りたいと思いながら、毎日を過ごしてきたように思うのです。
宮ぷーの目の光が、話しかけると確かに違うと思い込んだ私は、思いを伝えられずにいる宮ぷーの思いをなんとしても知りたい、お互いに気持ちが伝え合えるようになりたいと思いました。どこか、宮ぷーが気持ちを伝えてくれるところはないか? 私の問いかけに、返事をしてくれるところはないかとずっと探し続けました。指でもいい、瞬きでもいい、頬の動きでもいい、どこでも、一箇所でも自分で動かすことができたら、そこに私は、「“はい”だったら、動かして」と話をすることができると思ったのです。けれど、それは、なかなか難しいことでした。けれど、宮ぷーが頑張り続けてくれたことがよかったのでしょうか? 思いを知りたいとあきらめずにいられたことがよかったのでしょうか? 宮ぷーが、最初は小さなまばたきで、そして、頭が動くようになり、指が動くようになって、気持ちを伝えてくれるようになりました。
◆「僕の毎日を知ってほしい」という宮ぷーの思い
私は職業柄、意思伝達装置というものがあることを知っていました。意思伝達装置というのは、体の一部が動けば、そこでスイッチを押すことで、「あかさたな……」と順に読み上げる装置とつなぐことで、思いを文章化できる装置のことです。
宮ぷーは、頭のスイッチと、意思伝達装置のひとつである「レッツチャット」という機械をつなぐことで、9カ月ぶりに、思いを伝えることができるようになったのです。気持ちを伝えられるようになった宮ぷーは、「僕の思いをたくさんの人に知ってほしい。それは僕の生きる証だから」と言いました。私の書く日記を多くの人に読んでもらいたいと言うのです。
最初は宮ぷーが、きっと意識のない間のことを知りたいだろうと思って書き続けた日記ですが、私も、宮ぷーが一生懸命、命をかけて生きている様子に、胸を打たれたり、大切なことに気がつける毎日だったので、私のブログ「いちじくりん」で、多くの方に読んでいただくにはどうしたらいいだろうと相談しました。星野ひとつさんという方が、「それでは、日記をメルマガにして登録してくださった方に読んでもらいましょう」と提案してくださいました。
◆「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」が始まる。
それがメルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」です。毎日配信させていただく日記に、多くの方が感想や、思いをメールで返してくださいます。そして宮ぷーの枕元で、いただいたメールを読みます。宮ぷーにとってはなんと大きな励ましをいただいていることでしょう。
けれど、不思議なことが起きてきました。いただくメールはどれも「配信ありがとうございます。宮ぷーに励まされて毎日があります」とか「宮ぷーが病気になってくれたおかげで大切なことに気がつけました」というふうに書いてくださってあるのです。そして、いただいたメールを時々載せさせていただくと、また多くの方が、その方を励まされたり、一緒に考えたり、泣いたり笑ったり、喜んだり、まるでみんなでひとつの命を生きているというような感じさえしてくるのです。
◆意思を伝達する方法を世界中の人が当たり前に知っているように
宮ぷーが自分の毎日を知ってほしいと願ったことから、宮ぷーの映画を岩崎靖子さんが撮ってくださるようになりました。岩崎さんは、「宇宙の約束」という映画の監督さんでもあります。(私や学校の子どもたちを撮ってくださいました)
宮ぷーの回復の様子は予告編としてつくってくださって、ユーチューブにも載せてくださいました。意識を回復し、レッツチャットで気持ちを伝えている様子はとても感動的です。私も講演会で呼んでいただくたびに、宮ぷーの予告編を流させていただいています。そのときに、どこの会場へ行っても必ず、何人かの方が「うちにも気持ちを伝えられないでいる家族がいます。何か方法はありますか?」と尋ねてこられるのです。
ター坊のお兄さんが「弟(ター坊)は9年間気持ちを伝えられずにいます」とおっしゃいました。あるおばあちゃんは「主人が20年以上前に倒れて、奇跡を起こそう、奇跡を起こそうといい続けてきたけれど、いまだにお話ができないです」と言われました。お尋ねすると、おふたりとも、手も動くし、まぶたも動くとおっしゃるのです。 私はどうして、こんなことがあるのだろうかと思って涙が止まりませんでした。なぜ、そんなにも長い間、気持ちが伝えられずにいなくてはならなかったのだろう? なぜ、意思を伝達する方法はいーっぱいあるのに、知らないままにおられたのだろう。思いを伝え合えないということは、本人にもそばにいる人にとっても、どんなにつらいことでしょう。 いろいろ調べて、いろんなことがわかってきました。そのひとつに、意識があるということすら、気がついてもらえずにおられるだろうという方もたくさんいることがわかりました。そして、さらに調べてわかったことがあります。
意思伝達装置や意思伝達の方法は、あまりにも知られていないのです。医療の関係の方も、福祉の関係の方もそして、一般の方にも、ほんのひとにぎりの方にしか、その方法は知られていないということがわかりました。
レッツチャットのような意思伝達装置には、審査をしてもらって使えるとわかったら、国の補助がおります。たとえ、装置のあることを何かで見て知っておられても、すごく高いもので、とても手の届かないものだと思っておられる方もおられます。いったいどうしたらいいのだろうと思いました。そして、思ったのは、「知っている人が伝えないといけないのだ」ということでした。そして、知っているのは、私と、そして宮ぷー。そして、こちらを読んでくださっているみなさんです。
病院へ行くと、宮ぷーが「おかえり まってたよ」とレッツチャットで言ってくれます。「きをつけてかえってね」と帰るときには言ってくれます。だれもがそんな温かい気持ちの交流をしたいと思うのです。
20年以上奇跡を信じておじいちゃんのそばにいるおばあちゃんだって、きっとおじいちゃんに言ってもらいたいだろうし、おじいちゃんだって、きっと言いたいに違いない。そう思うと、私はいても立ってもいられなくなります。そして、涙がいっぱい出ます。ぜったいに、多くの人に知っていただくんだって、すごく勇気が湧いてくるのです。
◆レッツチャットについて
平成22年4月のはじめ、パナソニックグループ内のファンコムという会社で製造、販売されていたレッツチャットという意志伝達装置は「生産停止になって、販売は在庫のみになります」とレッツチャットのホームページに記載されていて、とても驚きました。もし宮ぷーにレッツチャットがなかったら、そんなことを思いたくもないほど、宮ぷーにとってレッツチャットは命をつなぐものです。レッツチャットの開発者である松尾さんは、お父様がALSという難病で、少しずつ体の自由がうばわれていかれる中、気持ちを伝え合うことの大切さ、それは生きるということだと思われて、お父様が亡くなられた後にレッツチャットを作られたのです。生産停止の理由ははっきりはわかりませんでしたが、もし、もっとたくさんの方が意思伝達装置を知っていたら、需要はもっと増えたはずで、必要としている人はまだまだいっぱいいます。いっぱいいるけど、誰も知らないのです。もっと多くの方が知っていたら、こんなふうにはならなかったのではないかと私は思いました。他の意思伝達装置も素晴らしい点はいっぱいあります。けれど、レッツチャットもまた、他のものでは替えられない素晴らしい点がいっぱいあるのです。パソコンは立ち上げるまでに時間がかかります。レッツチャットはその場ですぐに立ち上がり、フリーズもしないし、持ち歩くこともできます。他の装置にもその装置でなければならないことがあるように、レッツチャットにもまた、どうしてもレッツチャットでなければならないところがいっぱいあるのです。
ひまわりのたねの森あかねちゃんは、わたしがそのことで思い悩んでいることを聞いて、勇気を出して、いろんなところにいっぱい電話をしてくださいました。それを知ったわたしはいてもたってもいられずに4月7日のブログで、「ファンコムさんへレッツチャット製造継続のための応援メールを至急お願いします」と皆様への呼びかけをさせていただきました。すでに多くの方がファンコムさんや、パナソニックさんへ同様の御願いメールを送られていたそうですが、後で聞くところによると、とっても多くの方々が製造中止となっては大変なんです、という切実な気持ちを伝えてくださったそうで、その結果、パナソニックさんの「生産続行」という、企業にとってはとても難しい決定をしていただくことができました。でも、だからといって、製品の売れ行き不振が解消されたわけではありません。そんなふうに思うと、この先いつまでも製造が続くという保証はないのではないかと不安になるのです。一方で、今もその存在を知らないで、知らないために気持ちを伝えられないという方がたくさんおられます。おそらくは、レッツチャットだけではなくて、意思伝達装置などが、大切な装置であるにも関わらず、多くの方に知られないために、不況の今、各企業の意思伝達装置全般が、大きな打撃を受けているのではないかと思われるます。私は、レッツチャットの他にも、様々な特徴を持つすばらしい意思伝達装置や意思伝達手段があることもできるだけ多くの方に知っていただき、そして、それらのことが世の中の常識となるまで広めることがみやぷーとわたしの大切な仕事ではないかと考えています。
今、多くの方に知っていただけるようにと思って、下のようなことをしています。
★「おはなしだいすき」のホームページで、イラストを使ってお話するための、おはなしノートの無料ダウンロードができるページの製作(製作中です)、あいうえおの透明表(これは視線などを使ってお話をします)の無料ダウンロード、そして、レッツチャットなどの意思伝達装置のいろいろな情報を、発信する。
★宮ぷー日記「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」を読んでくださる方の数がもっともっと多くなればいいなと思って、みなさんでみやかつ・宮活(就職活動ならぬ宮ぷー活動)をしています。たくさんの方に知っていただくことで、何か大きな力で、お互いを支えあったり、大切なことって何かなあって一緒に考えたり、意思伝達装置のことを伝え合ったり、そして、もちろん宮ぷーのことを、多くの方で応援できるから。
どうぞみなさん、宜しくお願いします。
そのほかにも、宮ぷーの毎日のレッツチャットでのつぶやきを、ブログにして発信しています。