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今月のインタビューコーナー バックナンバー

世界中が笑顔でいっぱいになるように、ひまわりの種を配る活動をしている森あかねさんです。

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森あかねちゃん

森 あかね(もり あかね)

1973年2月2日生まれ。精神病を友にして23年。主人と息子の3人暮らし。妹の17回忌をきっかけに「世界中のみんなが笑う世界にしたい」ひまわりのたねと名付けマイペースで活動中。不登校を体験した事で詩を自由に書くようになる。だからこそ人生の中で起こる事は1つも無駄はない!と信じ「いのち」と向き合いながら毎日生きてる。

 みなさん、生まれてきてくれて、ありがとう。森あかねです。私は、「ひまわりのたね」という、ちっちゃな、ちっちゃな、活動ですが、しています。それは、「いのちのつながり」を感じながらさせてもらっています。私には、妹がいました。めぐみといいます。生まれつきの障がいを持ち(先天性脊髄性筋萎縮症)やっとで、やっとで、私の可愛い妹になってくれました。重度の障がいの為。

 社会から言えば「無理」という事も、めぐみは「障がいがあるからって、何でも駄目なの?」と言い。
 小学校にも、「お姉ちゃんと一緒の学校に通いたい」と言って、市、学校、教育委員会を、巻き込み入学しました、高学年になる頃、肺炎になり、気管切開、意識無しの状態になりました。
家族は、祈りました、それから、どれだけの時間が、過ぎたでしょう。母が、病室のカーテンを、朝あけると、大きな目で、にこっと笑い、戻って来てくれました。でも、家族は、みんな信じていました。

 「めぐみだもん、めぐみだから大丈夫」って、意識は、回復したものの、気管切開をしている為、言葉は、出ません。

 それでも、一生懸命意思伝達をしよう!と、文字盤を使って綴りだした言葉は「お家に帰りたい」でした。

お医者様からみれば「夢のようなおはなし」との事でした、でも、そこはめぐみです。「希望」を、実現させました。

 自宅に戻ると、もう、中学生になっていました。養護学校の訪問教育で、担任の先生から「めぐちゃん、絵描いてみない?」

と言われ、寝たきりの状態、指が、曲がった手に装具をつけて、描き始めました、初めて描いた絵は、 大きなひまわりの絵でした。会話は、口の形で、読み取ったり、 文字盤を使いました。でも、どうしても、上手く伝わらない時は、「もういい」と、諦めそうになりながらも、 伝えてくれました、その後、2回の個展を開きました、2回目は、初めて私が、詩に挑戦して、姉妹展になりました。

 2回目の個展の後、体調を崩し、そのまま、「ありがとう」と言い秋の空に風とともに登っていきました。16歳でした、人は短命と言うかも知れません。

 でも、めぐみは自分の人生を、懸命に、いのちを燃やしながら真っ直ぐに生きた人生だったと、思います。
 私自身、小、中と、いじめにあったり、どちらかと言えば、お人と交わるのが苦手だったり、集団行動が、苦手だったり、雨が、降ったら、「お空が、泣いてる」と思って、全部あかねが受け止めてあげられると思っていたんです。

 母はいつも「はやく」が口癖でした、思春期を迎え、そして、度重なるめぐみの入院、私のピンと張り詰めた糸が、プチンと、切れた瞬間でした。中3で、不登校、精神病になりました、でも「さなぎ」いつか、蝶になる!と思い、やがて、友人の助けもあって、春が、来ました、高校も、行きました、そして、結婚、出産、その頃、精神病の悪化。泣いてばかりいる私に夢の中に、めぐみが、出て来ました「おねえだけが、辛いと思っているでしょう、めぐみがどれだけ辛かったか知ってる?」私は、はっと、しました。

 それから、めぐみの笑顔と、ひまわりの絵が、浮かんできて、子育てもひと段落した頃。「そうだ!世界中のみんなが笑顔になりますように」と願いを込めて、詩の再開、「ひまわりのたね」と名前をつけ、イベントや、お店に詩を置かせて貰って、ほんの少しの収益から、活動が、始まりました、絵本を、病院に贈ったり、去年は、ひまわりの種を、撒いて頂いて、ひまわりを咲かせてもらいました。

 私は、かっこちゃんの書いた「きいちゃん」が大好きでした。それから、いちじくりんを、観るようになりました。

 そこで、宮ぷーのことを、知ります、思わず私は、かっこちゃんに、「宮ぷーは、大丈夫」だよ。と、メールを、打ち始めました。

 もう、何年も前から、知っていたかっこちゃんの事、宮ぷーが、私と、かっこちゃんを、繋げてくれました。そして、めぐみのときの経験があったから、本当に良かったなと思えるのです、そして、めぐみが、生きていた頃、意思伝達装置は、本当に、少なく、そして、知らない事が多かったのです、今こうして、宮ぷーを通じて知る事、伝える事が、できて、嬉しいです。

 私は、想う、いのちといのちが、お話する時、出逢いが生まれたり、するものじゃないかなー?と。。。そして、人生は、何も無駄は、無く、いのちも、誰一人として、無駄は、ないのです、自身、精神病で、出来ない事も多いです、でも、出来ないから、夢になり、叶えようと、頑張れる。人生は、ひまわりみたいにいつも、お日様に、向かえない日もあるよね、でもね。それでも、いいんだと思うのです。

 苦しみも悲しみも、私の宝物です、私の、詩の中にこんな詩があります…次のページへ

 

森あかね

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